「写真批評」「卒業制作」のスクーリングなどをご担当いただいている写真評論家のタカザワケンジ先生の個展「私写真」がIG Photo Galleryで開催されます。1月13日にはタカザワ先生によるレクチャーレクチャー「私写真」がYouTubeにて配信されます。ぜひご覧ください。
(以下、ギャラリーWebサイトより)
IG Photo Galleryでは2024年1月9日(火)よりタカザワケンジ展「私写真」を開催いたします。
タカザワは当ギャラリーのディレクターであり、写真評論家。写真の実践としてこれまで「非写真家 non-photographer」(2018)「someone's watching me」(2021)などの作品を発表してきました。
今回のテーマはタイトルにもあるとおり「私写真」です。
私写真は日本の写真批評のタームの一つです。しかしその定義はいまひとつはっきりしません。「私写真」をネットで検索すると「撮影者の身のまわりの事象やプライヴェートな出来事などを題材とした写真のこと」(Artwords「私写真」冨山由紀子)と説明されています。
富山も引用している飯沢耕太郎の『私写真論』(筑摩書、2000)によれば、写真は撮影者が存在する時点で完全な客観はありえず、「写真が本来的に"私的"なメディアである」ことを前提とし「あらゆる写真は「私写真」であり、"私"と被写体(現実世界)との関係の網の目から隠し出されてくる」と広義の私写真を論じています。その一方で、狭義として「"私"がはっきりと写りこんでいる写真」としています。
また、写真家の松本徳彦は、私写真の元祖とされる深瀬昌久の『洋子』、荒木経惟が妻、陽子を撮影したシリーズについて「ともに、私的な情景を巧みに私小説的風景にまとめ上げ、その時代の世相、風俗に織り込むという、ユニークな方法を編み出していて、一九七〇年代初頭を飾るパーソナル・ドキュメントの代表といわれている」(『昭和をとらえた写真家の眼』朝日新聞社、1989)とし、私写真をパーソナル・ドキュメントの一つとしてとらえています。ちなみにパーソナル・ドキュメントは客観を装った報道写真に対し、個人的な視点をもとにした記録写真であり、ロバート・フランクの『アメリカ人』(1958)がその源流とされています。
私は私写真(i-photography)を、私小説(i-Novel)にヒントを得た写真作品の形式だと考えます。私的な事柄を撮影した写真というだけでなく、そこに文学的なテーマ、それも古典であり普遍的な、生(性)と死、パートナーや家族との葛藤といった要素が中心にあると思うのです。
しかし、私写真が私小説について論じられるがごとく日本的な表現だとは思いません。アニー・リーボヴィッツの『A Photographer's Life』(2006)は「私写真」としかいいようのない作品だと思うからです。私写真は個人的な体験を普遍化するための一つの方法、可能性として開かれたものだと思います。
では、「私写真」とはどのようなもので、どのような要件を満たすことでそう感じられるのでしょうか。
今年、私の疑問は、私自身の問題として浮上しました。
この夏、母が94歳で亡くなりました。私は45年前、10歳の時に父を亡くし、母1人子1人で18歳まで過ごし、その後、親元を離れて一緒に住むことはありませんでした。展示では、父の死から母の死までの45年間の間に撮影された写真をもとに「私」を中心とした世界に生と死、人生に潜んだ「何か」を描けるかを試みます。
どのような展示になるか、私自身にもまだわかりません。しかし、展示をご覧になった方が、私写真について考えるきっかけになるようなものにしたいと思っています。
なお、展示期間中に、今回の展示を踏まえ、私写真についてオンラインレクチャーを行う予定です。
タカザワケンジ(写真評論家・IG Photo Galleryディレクター)
https://www.igpg.jp/exhibition/takazawa2024.html
会場:IG Photo Gallery(東京)
東京都中央区銀座三丁目13番17号 辰中ビル3階/東京メトロ日比谷線、都営浅草線 東銀座駅下車
開催期間: 1月9日〜1月27日
開廊時間:11:00〜18:30
休廊日:日・月・祝 入場無料
■レクチャー「私写真」5月13日(土)18:00~
タカザワケンジ(写真評論家、IG Photo Galleryディレクター)
You Tubeにて、配信します。
チャンネル名:IG Photo Gallery