堀井ヒロツグ先生が個展「身体の脱ぎ方 The way a body tired of meaning dances」がPURPLEにて開催されます。ぜひご覧ください。
(以下、ギャラリーサイトより)
会期: 2024年6月14日[金]-6月30日[日]
時間: 13:00-20:00[水・木・金] 11:00-19:00[土・日・祝]
休廊: 月・火
https://purple-purple.com/exhibition/horii2024/
[作家テキスト]
夜にならないと見えない言葉がある。それは、微弱な明るさのペンで書かれたような言葉だ。カーテンに滲み出した影がすっかりと部屋をひたす頃になって、ようやくその明るさに気づけるような、曖昧に光る未成の言葉。それは脆弱そうに見えて、ただ昼とは異なる力の次元に属している——
かつて、友達でも恋人でもない、特別なリレーションシップが人生に一度だけ存在した。互いのセクシュアリティーの違いを出発点にして、既存の制度の外側に居心地を探そうとした数年間があった。その跡地には、今もなお、弱さの光が憩っている。そんな話をしたい。
出会った頃の私たちは、いつもなぜか少しだけ疲れていた。部屋に帰るなり、身に纏っていた衣服や靴下を脱いでいくと、ほんの少しだけ軽くなる。回復することは、この現実の重力の外側を思い出すことに似ている。目の前に見える世界の在り方は、ほんの僅かでしかないとわかっていること。
身体という場所は、私を修飾するあらゆる記号や、政治が決定する関係性やジェンダーのように、遠くて抗いにくい視線によって用意された役割をなぞって生きてしまう。そしてそこに潜む疲れとは、「そうでないこと」を回避し続けることで生じる疲れを含んでいる。ひとつの身体に現れる多様な本心や、未だ名付けられていない価値を見逃し続けることの予感とともに。
意味のフレームの外側から訪れる意味を結ばない光に、私たちはたびたび感応しようとしてきた。本当は光はどこにでも満ちているのに、単一な昼の言葉ばかりを生きていると、それは容易に見えなくなってしまう。最後まで名前を与えることのできなかった関係の跡地に残っているのは、そんな痕跡の一部だ。
私たちが写真や映像を「遅い鏡」として自分たちのイメージを覗き込んできた行為は、決して脱ぐことのできない身体で、その光に手を重ねてみようとする、祈りにも近い遊びだったように思う。
堀井ヒロツグ|Hirotsugu Horii
2008年早稲田大学芸術学校空間映像科写真専攻卒業。
直近の主な展覧会に「都美セレクション2023」東京都美術館(2023)。2013年に東川国際写真祭ポートフォリオオーディションでグランプリ、2021年にIMA nextでショートリスト(J・ポール・ゲティ美術館キュレーター:アマンダ・マドックス選 )を受賞。