「写真批評」「卒業制作」のスクーリングなどをご担当いただいている写真評論家のタカザワケンジ先生の個展「someone's watching me」がIG Photo Galleryで開催されます。5月14日にはタカザワ先生によるレクチャー「写真史における『路上の顔』」がYouTubeにて配信されます。ぜひご覧ください。
(以下、ギャラリーWebサイトより)
「someone's watching me」(1978年)というタイトルは、アメリカの映画監督ジョン・カーペンターの初期作品から採っています。『姿なき脅迫』という邦題で知られるこの作品は、独り暮らしの女性が何者かによって付け狙われるというサスペンスです。犯人は望遠レンズで彼女の私生活をのぞき見し、時に自身の存在を誇示することで彼女を恐怖に陥れます。女性はテレビ局に務め、本来なら世界を「見る/見せる」側に身を置いています。しかし、映像技術の発展を象徴する(そして「見たい」という欲望の象徴でもある)望遠レンズによって「見られる」恐怖を味わうのです。
写真はその性質上、人間を「見る側」と「見られる側」に分けてしまいます。路上で撮影された写真に自分が写ってしまうことに抵抗を感じるのも、一方的に「見られる側」にされてしまう怒りがあるからでしょう。
しかも、写真や映像が手軽にSNSでシェアされる現代において、「顔」が撮影されることに不安を覚える人が増えています。「顔」は個人情報であり、写真に写ったことで不利益をこうむるかも知れないからです。
では、路上の「顔」は、どこまで抽象化されれば個人情報から離れることができるのでしょうか。
「someone's watching me」は路上で撮影した写真から道行く人の顔を切り出した作品です。具体的には、1/6~1/15ほどのスローシャッターで都市風景を撮影し、パソコンの液晶モニター上で道行く人の顔を拡大し、スマートフォンで撮影します。そして、Instagram(https://www.instagram.com/kenji_takazawa/)にアップロードした結果がこれらの画像データです。
どの写真も人間の顔であることは認識できますが、個人を特定するには至らないでしょう。SNSに投稿されたとしても肖像権を侵害することのない写真です。しかしカメラは現実を描写しているため、1枚1枚にはたしかに具体的に「顔」が写っています。彼らは実在するのです。
タカザワケンジは写真評論、写真家へのインタビューなどと平行して、自身も作品を発表してきました。その動機は写真にまつわる疑問について考えたいというものです。「someone's watching me」は長い歴史を持つストリートスナップが、時代の変化とともに変わりつつあることを踏まえ、路上の「顔」の行方について考えようとした作品です。
なお、今回の作品は昨年12月にPhoto Gallery Flow Nagoya(名古屋)で開かれた同名展覧会の巡回となります。内容を一部差し替え・拡充して展示する予定です。ぜひ、ご高覧ください。
https://www.igpg.jp/exhibition/takazawa2022.html
会場:IG Photo Gallery(東京)
東京都中央区銀座三丁目13番17号 辰中ビル3階
開催期間:5月10日(火)〜5月28日(土)
開廊時間:11:00〜19:00
休廊日:日曜日、祝日
・レクチャー(無観客)
タカザワケンジ「写真史における『路上の顔』」
5月14日(土)18:00~
You Tubeにて、配信いたします。
チャンネル名:IG Photo Gallery